始めまして。『ヒロキ』です!
メンタルカウンセリングとライフコーチングやっています。
本日は、プロフィールまで足をお運びくださいまして、誠にありがとうございます。
少しでもお役に立てたのであれば、光栄です。
本日は【私のプロフィールについて】を紹介しますね。
✔︎記事の内容
- 前半は【記事の概要について】
- 後半は【過去の経験について】
- ラスト【発信内容とメッセージ】
筆者について深く知りたい!
というマニアさん以外は、前半とラストだけで十分です!
気になる部分を目次から飛ばして、読んでみてくださいね!
インスタグラムでも「自分らしい人生の見つけ方」を発信しています。
ご興味のある方は、フォローしてみてください!
他に相談できる人がいない…そんな方のために。
「他に相談できる人なんていない。でも、自分一人ではどうすればよいのか分からない。」
深い悩みだからこそ、誰にも相談できない。
漠然とした悩みだからこそ、どこに相談すればよいのか分からない。
でも、誰かに相談しないとまた同じ繰り返し。もう、一人で耐えるのは疲れた。これ以上は限界。先が見えないし、この状態がずっと続くなら、もう無理。。
このように、誰にも相談できないような悩みはありませんか?
話せば楽になるのに、話せない。。
このもどかしさを解消するために、カウンセラーがいます。
心の平穏を取り戻して、自分らしく人生を生きてみませんか?
自分らしく生きられるようになったら…
- どんな自分でも受け入れられるようになり、深く落ち込むことがなくなっている。
- 自分に囚われたり、他人に嫉妬したりしなくなり、毎日を純粋な気持ちで楽しむことができている。
- 些細な出来事に心が満たされ、自分にも他人にも優しくなれる。
- 自分のことが好きになり、強みや長所をフルに発揮することができるようになっている。
- やりたいことが見つかり、自分の人生の生き方を自分で決めることができている。
- 自分で自分を満たすことができ、他の人に与えることができるようになっている。
- 自分の存在が誰かの役に立っている実感が湧き、自分に自信がついてくる。
- 信頼し合える真の仲間ができ、意識的ではなく自動的に幸せになっている
上記のメリットにご興味のある方は、ぜひ当カウンセリングルーム「well.be.mind」のホームページをご覧ください!
筆者の情報について
誰が記事を書いているのか?
『ひろき』と申します。
現在は、ホームセンターで働きながら、ブログを更新しています。
育った環境柄、人間心理への関心が異常に強さから、カウンセリングとコーチングをやっています。
人生を好転させられるライフコーチを目指しています!
- 「JADP認定メンタル心理カウンセラー」※JADP:一般財団法人 日本能力開発推進協会
- 「上級心理カウンセラー」
2つの資格を持っています。
2000年3月2日生まれ、東京都出身、横浜育ち。※横浜出身の子をハマっ子と呼びます。
スポーツは、幼稚園から大学4年までの約16年間、『柔道』をやっていましたが、入賞経験ゼロです。段位は、参段を持っていますが、あまり意味ないですね。
感受性(HSP)の高さと、落ち着きのなさ(ADHD)には自信があります。
何卒、よろしくお願いします!
30秒で生い立ちの紹介します。
私は、22年間ほど、毒親(父親)と暮らしていました。
幼少期の頃からずっと、父親の暴力や暴言が日常でした。社会に出る前に、大半の理不尽を経験することができたのは、大きな収穫でした。当時は、人生の全ての時間を父親に捧げ、期待に応えられない自分に生きる価値を感じていませんでした。
親に怒られないよう、毎日、死にもの狂いで生きていましたね。
そのような特殊な環境で育ったおかげで、今では、どんな自分も認めることができ、何気ない日常に幸せを感じています。
「そっか、そんなに頑張らなくても良かったんだね。」
父親の洗脳(禁止令)を克服し、自分を許すことができたとき、心の平穏と広い視野を手に入れることができました。
あ、ちなみに、今は父親とも上手く付き合えていますよ。
サンジのポジションが絶妙に一致している話
ワンピースの『サンジ』の生い立ち、そのまんまです。※あそこまで酷くはないです。
✔︎サンジと私の共通点
- 兄弟の中で異常に出来が悪い
- 兄弟から呆れられる
- 父親に見捨てられる
- 期待に応えられない自分は無能
- 兄弟で最も人間的(超普通)
- 「弱い人の気持ち」は誰よりも分かる
- 1人で楽しむ術を知っている(没頭できる趣味)
- 母親だけは無償の愛を注いでくれていた
3人兄弟末っ子。心身の発達が異常に遅く、才能も根性もなく、父親に見放されていました。※成長期は、一般平均の3年ほど遅れていた。
また、父親の影響だけでなく、兄弟との競争環境でも、強い劣等感を植え付けられました。
- 兄は、才能もあって、耐え抜く根性がある努力家
- 姉は、努力は全くしないが、やれば何でもできてしまう天才
- 私は、才能はゼロで、耐え抜く根性もないホラ吹き
このように、父親への恐怖と服従、圧倒的な”劣等感”が人生の始まりでした。
今は、正直どうでも良いですけど、当時はマジでキツかったですよね。
休日の過ごし方
休みの日は、散歩、読書、サウナが習慣ですね。
でもまあ、休日は、ブログか、カウンセリングやコーチング関係の勉強で、一日潰れるんですけどね笑
負の感情に囚われて消耗している方には『サウナ』は必須の習慣です。
別の記事で紹介してますので、気になる方はぜひ読んでみてください!
あと、ロードバイク好きです。
記事の特徴を解説します
なぜ、記事を書いているのか?
その①:似た境遇の人の役に立ちたい
これが、もう全てです。
私は「自分で自分を認め、肯定でき、幸福を感じることができる自律した人」を増やしていくことを使命として生きています。
もちろん、自分がそうしたいからというだけのことですが。
不条理な体験をされた方なら分かるはずです。
毎日、不幸な自分を呪い、周りの人たちが、まるで自分への当てつけかのように、幸せに見えてくる。
なんで?どこで間違った?なんで、私は周りとこんなにも待遇が違うの?こんなにも世の中は不平等なの?
と、嘆きたくなることもあったのではないでしょうか?
そういったコンプレックスやトラウマを放置していると、人生を棒に振ることになります。
- 虐待を受けて育った人が、子供を虐待する
- イジメられていた人が、自分より弱い人をイジメる
- 先輩に嫌がらせされた人が、後輩に同じことを強要する
私たちは、平等を求める生き物であり、やられたら、やり返して生きています。
きっと、いつの時代もそういうことが繰り返されているのだと思います。
そして、今もどこかで、不条理の再生産が行われています。
私が目指しているのは、単なる「毒親への対処」ではなく、「毒親の再生産の流れを止める(根絶)」ということ。
新たな毒親を生み出さないために「自律」が必要不可欠です。
私は、ブログを通して「自分は生きていても良いんだ。」と思えるような価値を発信していきます。
一人でも多くの方が、自分の人生を自分らしく自由に生きられるよう、質の高い記事を更新していきますね!
その②:母親に恩返しをするため
私は「母親を幸せにする」という重要な目的があります。
私の存在を唯一肯定してくれたのが「母親」です。
暴れる父親に振り回され、心身共に消耗しながらも、私に愛情を注いでくれた命の恩人です。
母親は、今も、自分の人生を生きることができていません。
私は、母親が幸せな老後を過ごせるよう、経済的に自立していきたいと考えています。
その③:ライティングスキルを身につけたい
「ビジネスの基礎」と「自分の適性」を考えた時に「ライティング」能力が必要だと思いました。
私は、深い思考は得意だが、それを咄嗟に言語化するのが苦手でした。
つまり、本質を見極める力があっても、その場で表現する能力を持ち合わせていないということ。
そのため、口喧嘩ではいつも負けていました。
でも時間を置くと、「やっぱり自分の考えの方が正しかった。」なんてことがほとんどでした。
そこで私は、早く結論を出すよりも、じっくり考えて質の高い結論を導きだす方が得意なんだと自覚しました。
だから、
「話す」のではなく「文章」
を選択しました。
どんな悩みを持っている人が読むの?
私は
不条理な経験をし、自分の価値に自信が持てない人
が
1秒でも長く、1%でも多く、1歩でも強く、自分らしく生きていけるようになること
を目的に記事を書いています。
人生は誰と出会うか?誰と出会わないか?
で、結果が変わります。
そして、人生が好転する瞬間には必ず、人との出会いがあります。
私が今、幸福を感じられているのも、人との出会いがキッカケです。
だから、
私は「自分の人生を生きるキッカケを与えられるような渾身の1記事」を提供していきます。
✔︎こんな方におすすめ!
- 毒親から抜け出せなくても幸せになりたい方
- 毒親から抜け出したのに幸せになれない方
- 周りに迷惑をかけないように、毎日必死に生きている方
- いつも何かに追われ、心が休まらない方
- 他人に嫉妬し、劣等感を感じてしまう方
- すぐに誰かをひがんでしまう自分が大っ嫌いな方
- 自分が情けなく感じ、無力感に苛まれてしまう方
- ことあるごとに罪悪感を感じて、自己嫌悪してしまう方
大事なのは「幸せになる」のではなく「幸せを感じる」ということです。
幸せを感じるというのは、自ら幸せを選択するということです。
私の記事を読むことで、その意味に気がつけるようになっていきますよ!
そんなあなたに、何をプレゼントできるのか?
記事を通して
- 「メンタルケア」=自分を認められる記事
- 「セルフメンタルケアの促進」=自分で自分を認められるようになる記事
を目指し、
あなたの精神的な
- 『逃げ道』
- 『依存先』
- 『安心できる場所』
を提供します。
「この悩みって、私だけ?」
を1つずつ発見し、解消していきましょう。
結局、記事を読むとどうなるの?
✔︎私の記事を読むことで得られる未来
・「そんなに追い込まなくてよかったんだ。」
罪悪感を感じることがなくなり、自分を過度に責めたり、否定したりしなくなる。
・「そんなに頑張らなくていいんだ。」
自分の機嫌を取り、労わることができる。
・「1人の時間って、本当に大切だなぁ。」
自分だけの楽しみを見つけて、1人の時間を楽しむことができる。
・「できなくてもいいじゃん。」
どんな自分であったとしても、認められ、肯定できる。
・「最近、すごく運良いよなぁ!」
人生が良い方向に進んでいる実感ができる。
・「最近、笑ってばかりだわ笑」
笑顔が増え、人と笑い合う時間が増える。
・「あ、これも当たり前じゃないんだよなぁ。」
人だけでなく、環境にも感謝でき、毎日を大切に生きるようになる。
・「今日も、めっちゃ良い日だったなぁ。」
嬉しかった事ばかりで頭がいっぱいになり、ぐっすり眠れるようになる。
・「自分が決めたことだし、仕方ないよ!」
他人のせいにしたり、イライラしたりすることがなくなる。
・「今日も自分を大切にできた!」
他人を気にしすぎて、メンタルを消耗することがなくなる。
過去の生い立ちを深く掘り下げていきます。
ここからは、幸せな日々を過ごせるようになるまでの過程を解説していきます。
特に興味ない方は、『私もそんな風になれるの?』の章まで、飛ばしてくださいね。
【幼少期】 “自我”より先に”気遣い”を身につけた時代
私は、生まれてすぐに父親に嫌われてました。
理由はものシンプルで、「懐かないから。」でした。
私は自分でもイヤになるくらい「超絶ビビり」です。
実際に「HSP(過敏性症候群)」と分かったのは、大きくなってからのことでした。
一歳にも満たない時に、父親に無理矢理パンツに変えさせられたことがあったんですね。
もちろん、パンツには慣れるワケもなく、何度もお漏らしをしてしまい、酷く怒られ、泣きながら謝っていたそうです。
一歳にも満たない子供が、父親に、お漏らししたことを泣きながら謝る。
まあ、記憶にはないんですけど。
善悪の区別すら付いていない段階で、父親に嫌われるというのは、
「自分には存在する価値がないこと」を意味します。
物心着く前から、父親は自分の命を脅かす恐怖の対象でしたね。
こんな日々の繰り返しから
「相手の機嫌を取る=気を遣う癖」
と同時に
「この人は、どんな人で、本当に信用できる人間なのか?」
という観察スキルを養うことができました。ほぼデメリットスタートですね。
【小学生】見栄っ張りの虚つき時代
父親に、日本一強い柔道場に連れてかれました。
当時の自分の価値基準は、とてもシンプルでした。
- 「父親に褒められる」=「存在価値あり」=「生きていても良い」
- 「父親に怒られる」=「存在価値なし」=「生きる価値のない無能」
おそらく、上記のような判断をしながら、生きていたと思います。
そこに「柔道」という新たな基準が入りました。
- 「柔道が強い」=「褒められる」=「存在価値あり」=「生きていても良い」
- 「柔道が弱い」=「怒られる」=「存在価値なし」=「生きる価値のない無能」
なので私は、自分の価値を死守するためにも、何がなんでも強くならなければいけなかったんですね。
兄は、父親の理不尽に耐えて、成績を伸ばしていき、姉は天才肌で、すぐに結果が出ました。
しかし、私は、父親の期待に追い付くことができず、成績が全く伸びませんでした。
努力不足といえば、その通りですね。
父親に、その日の練習を報告するという恐怖の時間がありました。
私は、いつしか怒られるが怖くなり、背伸びしたり、嘘をついたりするようになりました。
当然すぐにバレて、ボッコボコにされる日々でした。
嘘ついてもバレて怒られるし、正直に話しても落胆されて怒られる。何やってもボコボコにされていくうちに、理不尽への耐性が身につきました。
父親が、私に対する口癖は
- 「お前だけは、血がつながっていない。」
- 「お前だけは、俺の子ではない。出ていけ。」
- 「お前は、川で拾った子だから、川に捨てに行く。」
本人は、ふざけているつもりでしたが、その時の私は、毎日、捨てられないように必死でした。
誕生日の時に、意味もなく一日中玄関で裸足で立たされたこともありますし、不幸の自慢をすればいくらでもでてくるでしょう。
兄のストレスの吐き口に。
ここで意外な方向からも、ストレスがやってきました。
兄のストレスの吐口になりましたね。
兄は、とても真面目で責任感が強く、父親から与えられた課題を全てこなし、風当たりの強い道場の人間関係でも一人で耐え抜いていました。
しかし、兄も限界でした。
その溜め込んだストレスのはけ口として、私がいました。こればかりは、責められないです。
おかげさまで、父親だけでなく、兄弟間の理不尽にも耐える力が身につきました。
小学校では問題児だった話
先に断っておきますが、「昔、ヤンチャだった自慢」とかではないですよ笑笑
当然、家では人権がなかったので、その反動が学校での生活態度に露呈しました。
家で満たされない分を、学校で満たそうとしたのだと思います。
- とにかく自慢しまくり、
- 教室で暴れ回り、
- 喧嘩の強さを誇示し、
- 人の揚げ足をとる
幼少期のナルトに近いです。※漫画:『NARUTO』の主人公うずまきナルトのこと
幼い頃は、人から嫌われる要素が全て持っていました。
今考えると、本当に必死だったんだなって思いますが、それで誰かを傷つけて良い理由にはならないですから、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
「家では、マジメに振る舞い、外では、ストレスを発散する。」という二重生活を繰り返して生きていました。家には居場所がなかったですね。
家よりも外の方が”自分らしく”いられました。
小学5、6年生の頃に恩師と出会い、誰かを傷つけることはなくなり、ようやく集団組織に適応できるようになっていきました。
【中学生】メンタルが崩壊し、全てに絶望した時代
誰にも勝てなくなったシンプルな理由
ただでさえ、要領が悪い私に、さらに絶望的な状態に陥ったのが中学生の頃です。
柔道で誰にも勝てなくなった。
同期はおろか、年下の子にも全く勝てなくなりました。
「いや、そんなことかよ。」と思われるかもしれないですが、当時の私にとって、柔道での成績が、「私は生きる価値があるか否か?」を左右していたんです。
急激に勝てなくなった理由は、単純に発達の遅れ。
- 男性の成長期ピークの平均は、中学1年生
- 私の成長期のピークは、高校1年生
中学生の頃は、明らかに、周りが大人に見えました。すでに成長期を迎えた後輩にも歯が立たなかった。
当時は、そんなことなどわかるはずもなく、毎日が絶望でしたね。
完全にバグって、メンタルが機能停止した瞬間
この時期には、完全にメンタルがおかしくなったキッカケがありました。
中学の団体戦の枠を決める校内予選があったんですけど、その予選で、中学生から柔道を始めた子に負けてしまったんですね。
その時は、自分の頭では理解が追いつかず、辛すぎて、本気で消えたいって思いました。
残酷なことに、普段は、見にこないはずの父親が見にきていたんですね。
偶然その光景を目にしてしまった父親は、私に絶望しました。
その父親をみて、私は、さらに絶望しました。
この出来事は、もう思い出したくないですね。
今思い出しても過呼吸になりそうです。過呼吸になったことないですけど。
進撃の巨人のジークイエーガーの戦士候補生の特別公開訓練を父親が見にきて、絶望した状況と全く同じ何ですけど、分かる方いますか?※進撃の巨人を知らない方はすみません。
- 明らかに、周りよりも練習している。
- 明らかに、周りよりも柔道のことを考えている。
- 明らかに、周りよりも努力している。
「なのに、なんで誰にも勝てない??」
毎日、練習後1人で泣いていたど、頭悪かったんで、自分の努力不足としか答えが出てこなかったです。
- 父親に完全に見放され、
- 自分で自分を見放した。
メンタルが完全に逝っちゃった瞬間でしたね。
【高校生】恩師との出会いで、好転した時代
私の同期が、強豪校に推薦入学する中、私だけ、近くの公立高校に一般入学しました。
そこで、恩師に出会いが、私の人生を大きく好転させました。
父親の価値観に縛られた私を変えてくださった恩人であり、最も尊敬している人です。
私の家庭の状況を聞き、一緒に住むことまで考えてくださりました。
先生は、周りから、”教祖”と呼ばれるくらいの変わり者でしたが、当時の私には足りないものばかりでした。。
私は、柔道の「技術」の何倍も多く「生活面」や「心理面」について学びました。
ワラにもすがる思いで、先生の教えを忠実に守り、実践していきました。
先生が、「カラスを白だといえば、白なんだ。」と思い込むことも簡単にできたくらいです。
この時から、柔道に対する、”ある変化”が生まれました。
それは、柔道を
- 「父親にやらされている」という意識から
- 「自らやりたい」という意識に
変わっていたんですよね。
父親の期待を気にせず、自分のやりたいように柔道をやってみることを決断しました。
その決断をキッカケに、少しずつ自分自身をコントロールできるようになっていきました。
今なら良く分かりますが、
どうやら高校の頃に「精神的自立」を果たすことができていたんですよね。
その時あたりから、荒れ狂う父親に対抗できる力がつき始めていました。
その「身体的な自立」が自信となり、「精神的自立」へと導いてくれたのだと思います。
【大学生】人間関係が豊かになり、自分の意志が確立した時期
進学した大学は弱小チームではありましたが、すでに自分なりに考えて、行動することができていました。
週に3回以上は、他大学や、実業団、合同の練習会に参加していましたし、かなりフットワーク軽くなっていましたね。
「たった一人で、別の集団の練習に参加する」
という経験は、今でもかなり生きています。
この時期から、柔道の成績も右肩上がりに伸びていくようになり、ようやく前進している感覚を味わうことができましたね。
そう長続きするものでもなかった。
大学3年生になる2ヶ月前、「COVID –19」が蔓延してから、部活動は休止になり、試合も中止が発表され、柔道ができなくなっていました。
何一つ成績を残せていない私は、柔道で就職することはできなくなったという事実を突きつけられたんですよね。
16年間の柔道人生はあっけなく終わりを迎えましたね。柔道をやらない生活を全く考えてもいなかったので、「あれ、自分って、何のために何をしているんだっけ?」と、何が何だか分からなくなった時期です。
つまり、
「何もやることがなくなったし、自分に残っているものは何もない。」
という最も不安定な状態に陥りました。
がむしゃらに就活を始めたが…
目標を就活に切り替えて、3年の夏のインターンシップを応募しましたが、当然のごとく全落ちでした。
何も考えていなかった者からすると、もう焦る焦る。。
心に余裕がなくなった私は、大学の友達の紹介で、学生長期インターンを始めてみたが、その実態はまさかのマルチビジネス。
1ヶ月半、週7日(無休)で、大学の授業を休んだこともなかった自分が、授業そっちのけで、朝から晩まで働きまくっていましたが、何一つ成果がでない。。
働いている自分が組織を信用できていない時点で、相手に信用してもらえるハズがないんですよね。
「もしかして、自分って、何の取り柄もないんじゃない?」
日に日に、自分に自信がなくなっていきましたね。
この当時は
「このくらいヤバい組織じゃないと、自分はインターンに参加できないだろうな。」
というギリギリのマインドだったので、まんまと利用されてました。
おかげさまで、社会に出る前に、社会の裏側も少しだけ知ることができましたし、人間心理への興味が膨れ上がりました。
というのも、「ヤバい組織にいる人は、みんなヤバい。」という印象だったのですが、中に入ると、意外とそうでもないことが分かったんですよね。人間って、思い込みと偏見で生きているんだなって、思わされた瞬間でした。
2回目の変革期に突入
営業をやめて、少し経った頃、友達の紹介で「ビジネスの立ち上げ」に参加させてもらうことになりました。「また紹介かよ。」って感じですね。
ここでの経験は、本当に新鮮でした。
多くの人が学生からビジネスの世界に足を突っ込む中で、「ビジネス」について何一つ知らないんですよね。「そもそも、ビジネスとは何なのか?何のために存在するのか?」から考えるコンサルティングを受けました。
私は”自分の頭で考える習慣”を身につけることができました。
今まで使ったことのない全く新しい脳の部位を使っているような感覚でしたね。思考するという意味や、思考の仕方まで、色々と考える力を養うことができました。
このタイミングが、「思考的自立」を果たした時になりますね。
その時期から、毎日欠かさず自己分析を行いました。
- 自分の強みや価値観に気がつき、
- 進むべき方向性が見え始め、
- 自分の人生の目的を仮設定し、
- 目的達成に必要なものを目標にし、
- それを噛み砕いて細分化し、
- 優先順位を決めて、
- 不必要なものを排除して、
- 今から始められるものを決め、
- 目的を見据えて行動を始める。
上記のコーチングセッションを自ら発見し、取り組んでいました。
結果は、就活ですぐに現れました。
受けた面接は、1社を除いて、全て通りました。※そもそも、そんなに受けてはいないです笑
無事、第一志望のところに、就職が決まり、就職までの1年間の大半の時間を自己分析に当てました。
どうやって、トラウマを克服したのか?
「あなたの意見はなんですか?」この言葉が本当にトラウマでした。
自分の意見なんかないし、言ったら怒られるかもしれない。そもそも、そんな自分勝手なことはできない。
ずっと、そう思って、生きてきていました。
日常的に、父親の顔色を伺う生き方をしていたため、常に、他人の顔色を伺い、誰かが「合っているよ!」と言ってくれないと、何かを決断できませんでした。
自分で責任をとる勇気がなかったんです。
それ以上に
”自分”というものが無かった。
だから、
何を言うのが正解なの?
どう言えば怒られないかな?
何を言って欲しいの?
ということしか考えていませんでした。
精神的に自立し、思考的に自立してから、ある法則に気がついたんですよね。
「そもそも、正解なんてものは存在しない。そして、相手が欲しがっているのは、ありふれた答えのようなものではなく、私だけの意見であること。そして、相手は、そんなに私に興味がない。」
私にとって、この言葉が救いであり、勇気づけられたんですよね。
この瞬間から、私は、自分の意見を主張することができるようになりました。
【現在】日常に感謝し、毎日が楽しくて仕方ない時代
現在は、ホームセンターで毎年約2600回の接客をして生きていますよ。
カウンセリングは、友人のお悩み相談から始まり、そこから本格的にカウンセリングを始めるようになりました。今は、カウンセリングの資格を2つ取得し、コーチングの勉強と実践を繰り返しています。
人一倍感受性は高くて疲れるのは早いですが、人と関わる時間は楽しくて仕方ないですね。
人との出会いや交流に感謝でき、ほんの些細な出来事に幸せを感じています。
大切なのは「周囲から幸せに見えること」ではなく「自分にとって、幸せだと思えること」なんだと、日々気付かされています。
まあ、なにより、「毎日楽しすぎて仕方ない!!」って、思えているところが、昔では考えられない変化ですね。
過去の辛い経験があったからこそ、今が幸せなんです。これは、綺麗ごとを言いたいわけではなく、事実を述べているだけです。
幸福になるか否かは、本人の設定する基準で決まり、
それは自分次第で変えられます。
その基準は、当たり前の日常を享受できなかった人ほど低く設定できます。つまり、平凡な人生で、現状に不満を持っている人よりも、苦しい経験をしている方ほど、幸せを感じるポテンシャルが備わっているんです。
この記事を読んでいるということは、何か辛い経験をし、ひとりで苦しみを耐えている方なのではないかと思います。
大丈夫です。
あなたの方が、何倍も幸せを感じるパワーがあります。
私の記事を通して、一緒に、自分らしさを取り戻していきましょう!
私も、そんな風になれるの?
底辺だったからこそ弱さと辛さが分かる
自分を卑下したいわけではないですが、
誰よりも
- 才能もなく
- 努力も中途半端で
- 劣等感にまみれ
- 他人を認められず
- 恨み、嫉妬し、
- そんな自分を偽り、背伸びをし
- 誰かに認められることに飢え
- 何一つ上手くいかず、絶望した
上記のように、人生で何一つ上手くいったことがないからこその、最大の強み。。
それは「弱い人の気持ちが分かる」ということです。
- 劣等感
- 焦燥感
- 無力感
- 絶望感
- 疎外感
- 孤独感
- 罪悪感
といった底辺マインドを持ち続け、もがき苦しんだ、それでも尚、目に見える成果がない。そんな状況下で、私は、幸福を実感しているという強みがあります。
恥ずかしい話、
絶対に幸せになれないだろう、、という状況下で、幸せになれたってこと。
本当に大切なことは、事実とは別にあるのです。
初めからできちゃう人は、そこまで悩まないでしょう。
すると、どうなるでしょうか?
簡単な話で、”弱い人の気持ちがわからない”のです。
それは
なんで、できないんだよ。
を作り出す原因になります。
- 悩んでこなかった
- できるのが当たり前
- できない人の気持ちがわからない
- できない人をできるようにする過程が分からない
上記のような別の悩みに支配されます。
長く、底辺を歩き続けたからこそ、【再現性(あなたもできる)】という裏付けになります。
あなたは、
「全てが上手くいき、何一つ失敗してこなかった人」
と
「多くの理不尽を経験し、沢山の失敗を経験した人」
のどちらの話の方が、信用できますか?
理屈よりもリアルさが欲しいあなたへ
産まれてすぐに、親に気を遣った経験から
【人間の心理】
【世の中の本質】
を知識ではなく、実体験として学んだのです。
つまり、
アカデミック(学術的)な知識ではなくリアル(実践的)な知恵と言えるでしょう。
私の22年間の知見をもとに、
読者さんの今後の人生を
- もっと、楽に
- もっと、楽しく
- もっと、自由に
- もっと、幸せに
- もっと、自分らしく
生きられるよう全力で応援していきます。
毒親に人生を狂わされているあなたへ
毒親育ちだからこそ本当の幸せが分かる?
私は、今でこそ「毒親育ちで、本当に良かった。」と、胸を張って言えます。
それも「今が幸せだから。」言えるんですよね。
毒親に悩まされて、一杯一杯だったあの頃は、
「なんで、自分ばかり。」
と、環境を呪っていましたし、苦労してこなかった人を見るだけで、腹が立って仕方ありませんでした。周りの人を「温室育ち」と見下していた時期もありました。
幸せを実感できるようになった今になって、気がついた事があります。
「毒親育ちだからこそ、何でもない生活に幸せを感じる事ができる。」ということです。
毒親育ちでない方は、何でもない生活をどう思うでしょうか?
うわ、暇だなぁ。なんか良いことないかなぁ。
かもしれませんね。
幸せな時間を当たり前に思うことほど、不幸なことはないでしょう。
あなたは、今、辛いですし、普通の生活を送ることすら難しいかもしれません。
しかし、だからこそ、普通の生活に幸せを感じられる時がきます。
そのことに気がつければ、一般の方よりも幸せな人生を歩む事ができるようになります。
「私の人生、終わりだわ、、」から脱出へ
毒親育ちだから、終わったわ。
と、思っている方もいると思います。
また、
どうせ、何やっても上手くいかないんだ。
と思っている方もいるかもしれません。
その気持ちは痛いほどわかります。
- 周りがキラキラして見える気持ちも、
- 自分の環境を嘆きたくなる気持ちも、
- 自分に絶望し、嫌いになる気持ちも、
- 「なんで、自分だけ、こんな…」と思うことも
ありました。
でも、大丈夫です。
日常的に人格を否定され、自己肯定感がミジンコ以下だった私も、今、ものすごい幸せなんです。
「私が、あなたを幸せにしますよ!」と、宗教みたいなことを言うつもりはありません。
自分で、自分を幸せに変えていく力を身につけていきます。
外部から与えられた幸せなど、長続きしません。それよりも、自分で自分を幸せにできること。その方が、長い人生において、とても価値が高いのです。
私は”自律した幸福”に向けて、全力でサポートします。
あなたはこれ以上、無理する必要はありません。
22年間の毒親観察の知見から、その「方法」「コツ」をお伝えしていきます!
最後に一つだけ!これだけは絶対に守って。。
「世界で1番自分を大切に扱って欲しい。」ということ。
「他人のため」が蔓延している世の中では、副作用として
「他人のために生きなければ…。」
自分を後回しにし、消耗してしまう方が、かなり多いです。
昔の私もそうでした。
「大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをした。」
これはストレスの始まりです。
あなたはもっと、自分を優先しても良いんです。
自分を大切にしなければ、他人を大切になどできません。
「他人のために生きる」という考えは半分は正しいですが、半分は間違っています。
まずは自分を満たして、「この人のために生きる事が自分の幸せなんだ。」と思って、初めて成立する概念です。
自己犠牲の前に、やることがあります。
自分の満たし方を知ること。自分の裁量で、自分を幸福にできれば、他人を幸福にすることも可能でしょう。努力の方向性を見誤ってはいけません。
だから、まずは『自分から』
世界一、自分を大切にしてください!
「毎日、ぐっすり眠れるようになった!」
自己肯定感を高めれば、悩みの森から抜け出せます。
まず、何から、どうすれば良いの?何も分からないです。。
毒親対策をしていきたいけど、どうしていくのが良いのか全くわからない。
という方もいると思います。
まずは、全体の流れや、進むべき方向を知ることから始めてみましょう。
こちらの記事は「毒親対策の流れと、あなたがやるべきこと」について解説しています。
気になる方は、こちらの記事をご覧ください。
長らくご愛読ありがとうございました。
私の記事を通して、あなたが「自分だけの幸せ」を手に入れられることを本気で願っています。
大丈夫です。
あなたが思うほど、あなた弱くありませんし、私もそんなに強くありません。
少しずつで大丈夫です。
少しずつで良いので、あなただけの幸せを一緒に見つけていきましょう!
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